# ベリリウム
ベリリウム(新ラテン語: beryllium, 英: beryllium [bəˈrɪliəm])は、原子番号4の元素である。
元素記号はBe。
原子量は9.01218。
第2族元素のひとつ。
# 名称
1798年にルイ=ニコラ・ヴォークランが「グルキニウム(旧元素記号Gl、glucinium)」と名づけた。
語源のglykysは、ギリシア語で「甘さ」という言葉を意味する。
これは、ベリリウム化合物が甘みを持つことに由来している。
1828年には、マルティン・ハインリヒ・クラプロートが「ベリリウム」と命名した。
この名前は緑柱石(beryl、ギリシア語で beryllos)に由来している。
# 歴史
初期の分析において緑柱石とエメラルドは常に類似した成分が検出されており、この物質はケイ酸アルミニウムであると誤って結論づけられていた。
鉱物学者であったルネ=ジュスト・アユイはこの2つの結晶が著しい類似点を示すことを発見し、彼はこれを化学的に分析するために化学者であるルイ=ニコラ・ヴォークランに尋ねた。
1797年、ヴォークランは緑柱石をアルカリで処理することによって水酸化アルミニウムを溶解させ、アルミニウムからベリリウム酸化物を分離させることに成功した。
1828年にフリードリヒ・ヴェーラーとアントワーヌ・ビュシーがそれぞれ独自に、金属カリウムと塩化ベリリウムを反応させることによるベリリウムの単離に成功した。
カリウムは、当時新しく発見された方法である電気分解によってカリウム化合物より生産されていた。
この化学的手法によって得られるベリリウムは小さな粒状であり、金属ベリリウムのインゴットを鋳造もしくは鍛造することはできなかった。
1898年、ポール・ルボー(英語版)はフッ化ベリリウムとフッ化ナトリウムの混合融液を直接電気分解することによって、初めて純粋なベリリウムの試料を得た。
19世紀は、新しいベリリウム化合物が見つかると、融点や溶解度だけでなく、味までも報告するのが当たり前だった。
第一次世界大戦以前にも有意な量のベリリウムが生産されていたが、大規模生産が始まったのは1930年代初期からである。
ベリリウムの生産量は、硬いベリリウム銅合金および蛍光灯の蛍光体用途の需要の伸びによって、第二次世界大戦中に急速に増加した。
初期の蛍光灯にはベリリウムを含有したオルトケイ酸亜鉛が使用されていたが、のちにベリリウムの有毒性が発見されたためハロリン酸系蛍光体に置き換えられた。
また、ベリリウムの初期の主要な用途のひとつとして、その硬さや融点の高さ、非常に優れたヒートシンク性能を利用した軍用機のブレーキへの利用が挙げられるが、こちらも環境への配慮から別の材料に代替された。